★不平不満は万病のもと!
なぜそんなに不平不満があるのか。そんなに相手は劣っているのか。
それほど己は完璧で立派な人間なのか。
不平不満というマイナスの心は自分の血液を濁らせ、めぐりを悪くする。
内臓の働きも鈍くなり、すべての病気のもととなる。
人の争いも物事の行き詰まりも、不平不満の心からきている。
★不平不満は万病のもと!
なぜそんなに不平不満があるのか。そんなに相手は劣っているのか。
それほど己は完璧で立派な人間なのか。
不平不満というマイナスの心は自分の血液を濁らせ、めぐりを悪くする。
内臓の働きも鈍くなり、すべての病気のもととなる。
人の争いも物事の行き詰まりも、不平不満の心からきている。
◆人生はまさにブーメランだ。
人に与えたものは手元に返ってくる。
by デール・カーネギー
※ 振り子の原則・与えたものは与えられるのですね!
■今の社会のほとんどの問題は、「私には関係ない」
と言う人が多いことが「諸悪の根源」といっていい。
悪に対して「自分には関係ない」と言う。
自分の身にふりかかってこないかぎり、見て見ぬふりをする。
それがじつは、「悪を応援する」ことになる。
※ 強い信念を持たないといけないようですね!
◆伊能忠敬は酒屋を引き継いで経営危機だったときにどうしたか?
伊能忠敬はそのピンチの中、従業員を集めてこういった。
「売上が上がらなくてもいいから、お客様のお役に立つことをやってください。」と。
従業員は「いいんですか?売らなくても?」と言って、
お客さんに「何かお困りごとはないですか?」と言うようになった。
すると、口コミになった。
お酒を買うなら伊能さんのところがいいよと、
お客さんが言ってくれるようになって少しずつ経営を回復させていった。
本来の日本人は世のため人のためにやろうという気持ちが備わっている。
何かお役に立てることはあるのか?
という純粋な気持ちが口コミになり成果に繋がる。
※ 世のため人のために生きる事なのですね!
★できるまでやめないそれが成功の秘訣!
成功するかしないかは、途中でやめてしまうかやめないか、にかかっている。
人によって体力や能力の差があっても、一貫して続けていれば、やがて成功に到達できる。
途中で困ったことにぶつかったり意欲をなくしたときは、初心に返ること。
それは自分の目指す目的を忘れているときだからである。
成功の秘訣はやめないことにある。
◆人間である限り、誰でも過ちはある。
しかし賢者や善人は、自分の過ちや失敗の中から、
未来に備えるための知恵を学び取る。
by プルターク
※ 失敗は成功の基と言う事ですよね!
■人生には、いろいろなことがある。
喜びの日もあれば、苦悩の時もある。
いやになることも起こる。
だからこそ人生は面白い。
さまざまなドラマがあるからこそ、人間である。
何の変化もない、ドラマもない、決まりきった人生は、機械のようで面白みがない。
※ 全ては必然的に起きるそうです!
by ◆瀧廉太郎
憾(うらみ)
瀧廉太郎(たきれんたろう)という人物をご存じだろうか。
日本において最も早く日本語によるオリジナル唱歌を作った一人だ。
「荒城の月」「箱根八里」「花」「お正月」「鳩ぽっぽ」など、
日本人では知らない人はいないだろう。
だが彼が不遇の人生を歩んだことについて知る人は少ない。
当時、瀧は多くの唱歌を作り人気を博した。
だが、その活躍に眉をひそめるもの達がいた。
それは当時の文部省に関係する人物達だ。
若くして才能にあふれる瀧に嫉妬と恐れを抱いた彼らは、
ついには瀧に無理矢理ドイツへの留学を命じた。
もともと体が強くなかった彼はしぶしぶではあったが、留学を決意。
たぐいまれなる才能で留学先でもその花を開かせようとしていた矢先、
突然結核を患ってしまった。
(今現在でもこれは仕組まれていたと見る動きもある)
失意の中帰郷した瀧ではあったが、
それから23才の若さでこの世を去るまで数多くの作品を作った。
ところが政府は、瀧の病気を理由にその多く作品や身の回りのものを、
焼却処分したことがわかっている。
瀧はこれまで受けた仕打ちと死後の対応を予感していたのか、
一番最後の作品として『憾(うらみ)』というピアノ曲を作っている。
声楽作品しか作ってこなかった瀧が、なぜ最後の曲にピアノ曲を選んだのか。
ひょっとするとそこには言葉として残してはおけない憎悪のメッセージが、
暗号のように隠されているのかもしれない。
※ 才能は認めてあげないといけないものですよね!
★愛和は一切の幸福を生む!
人々が仲良く過ごしている状態が和の満ちた姿である。
和はなごやかさ、温かさ、明るさ、そしてすべての幸福を生み出す。
一方、不和は争いや乱れであり、破壊へとつながっていく。
和をつくり出すのは、まず自分から。
相手を認め、受け入れ、理解する。
その第一の実践は、自分から明るく大きな声で挨拶することである。