人生楽あり苦あり
お早う御座います。
突然ですが、
人生の成功の秘訣とは…
なんだと思いますか?
今日は、この名言を紹介したいと思います。
※名言の紹介…※
◆60までに種を蒔く。
60過ぎてからが収穫なのである『年齢を重ねることが楽しみだ。60歳から人生の黄金期が始まるぞ』
by 貝原益軒
還暦ですね、折り返し地点?
※命に活力を…※
■「お母さんはうるさい!」と思う時が、実は一家一族が、最も健全で、叱咤激励されながら、成長している時といえます。
一家からお母さんの怒る声がなくなったら、どんなに侘(わび)しく、寂しく、悲しい一
日一日となってしまうことでしょうか!
◎幸運を呼ぶ宝箱※◎
◆私たちは、一度「この人はこういう人だ」と思い込んでしまうと、なかなかその思い込みから自由になることができません。
けれども、何かのきっかけで固定観念が壊れる体験をすると、相手が別人のように見えて
くることがあります。
そんなはっとする体験をしたなら、それを生かしたいものです。
嫌悪感や恨みなどのネガティブな感情を通して相手を見ていると、相手のいやな点ばかり
が目についてしまいます。
たとえ親切にされても、それを素直に取れません。
固定観念を捨てて相手を見れば、今まで気づかなかった姿が見えてきます。
今まで欠点だと思っていたことも、見方を変えれば、長所だと思えるかもしれません。
(出典:Wikipedia)
貝原益軒
#かいばら えきけん#江戸時代の本草学者、儒学者#福岡藩士#貝原寛斎の五男#筑前国続風土記#
貝原 益軒(かいばら えきけん、1630年12月17日(寛永7年11月14日) – (正徳4年8月27日))は、江戸時代の本草学者、儒学者。
筑前国(現在の福岡県)福岡藩士、黒田藩の祐筆であった貝原寛斎の五男として生まれる。名は篤信、字は子誠、号は柔斎、損軒(晩年に益軒)、通称は久兵衛。
1648年(慶安元年)、18歳で福岡藩に仕えたが、1650年(慶安3年)、2代藩主・黒田忠之の怒りに触れ、7年間の浪人生活を送ることとなる。1656年(明暦2年)27歳、3代藩主・光之に許され、藩医として帰藩[1]。翌年、藩費による京都留学で本草学や朱子学等を学ぶ。このころ木下順庵、山崎闇斎、松永尺五、向井元升、黒川道祐らと交友を深める。また、同藩の宮崎安貞が来訪した。7年間の留学の後、1664年35歳の時、帰藩し、150石の知行を得、藩内での朱子学の講義や、朝鮮通信使への対応をまかされ、また佐賀藩との境界問題の解決に奔走するなど重責を担った。藩命により『黒田家譜』を編纂。また、藩内をくまなく歩き回り『筑前国続風土記』を編纂する。